みんなの「親への手紙」要らなかった子より

2018年11月09日

名前 まくち

性別 女性

年齢 56

職業 主婦

両親へ。

私は橋の下に捨てられ泣いていた惨めで可哀そうな子。

あなた方が哀れに思い拾い育ててくれた。

そんな話を笑いながら何度もしてくれましたね。

だからお前は感謝するべき。

とても下卑た笑い顔でした。

私は帝王切開で産まれた。

2650g、産まれた時既に髪の毛が長かった、

とても醜く気味の悪い赤子だったそうですね。

赤子の時の記憶も私にはあります。

ずっとあなた達は争いをしていましたね。

お父さん、あなたの怒鳴り声、お母さん、あなたが泣きわめく声、怖かったです。

怖くて泣くと、お母さん、あなたは赤子の私の頬を殴りましたね?

うるさい!黙れと。

繰り返されるうちに泣く事もあまりしなくなりました。

お母さん、あなたは手や体をつねり上げましたね。

思う通りにいかないと癇癪を起し、

私を布団に投げつけたりもしましたね?

そうこうしているうちに私は小児喘息の発作を起こすようになりました。

あなた達は訳がわからず混乱していました。

なだめても叱っても私は苦し気に息をしていました。

腹が痛いのか?そればかり繰り返し、

私は胸を掻きむしりました。

胸が苦しいのか?「くるしい、ここがくるしい」

痛くないの、そう、それ、やっと伝わりました。

ワーワー騒ぎながらやっと病院に連れて行かれた。

それも隣人の助けを借りながら。

言葉を話すのも歩き出すのも割と早かった。

気が付けばお隣に遊びに行くようになっていました。

母乳は早くに止められました。

お母さん、あなたは「お乳の形がくずれるから」そう言いました。

病気持ちな上に女の子で可愛らしくない、

繰り返し私に言いましたね。

その事までも夫婦喧嘩の種にしていましたね。

お前のせい!あんたのせい!

そして私のせい。最後には全部私のせい。

どうすればあなた方の機嫌を損ねないのか、

そんな事ばかり考えていた気がします。

3歳を過ぎて待ち望んだ二人目を妊娠しましたね。

私は素直に嬉しかったです。

楽しみにしていました。

二人目はまともな子、きっと可愛い良い子。

あなた達も楽しみにしていましたね。

私はその頃から名前ではなく「お姉ちゃん」

そう呼ばれるようになりました。

お母さん、あなたは早いうちから入院する事になりました。

父と二人での生活恐ろしくて泣きわめきました。

その間二件の親戚の家に預けられました。

誰も私を殴ったり閉じ込めたりしない、

ご飯も美味しい、束の間の幸せでした。

その間発作も起きませんでした。

お父さん、あなたが迎えに来ました。

やはり泣きわめき必死に抵抗しましたが、

家で少しの間二人で暮らしましたね。

病院に母を迎えに行きました。

なぜか、お母さん、あなた一人、赤ん坊が居ません。

その時の事も「聞くな!」それで終わりでした。

きちんと話してくれたら理解できたのに。

私の妹は闇に葬られました。


少し話を進めましょう。

小学校に上がりほどなくして、

とある施設の紹介をされました。

隣人の計らいで私は1年と2か月少しの間

転地療法目的の名目で施設に入れました。

知らない人ばかり、すぐには打ち解けられません。

ですが殴られる恐怖からは逃げられました。

その生活で私は少しの体力と絵を描く楽しさなどを身に付け家に戻されました。

しばらくは施設に居た子と、クラスメイトからも、

少し敬遠されていたと思います。

それでも少しづつ馴染んでいきました。

学校へは意地でも通いたかったのです。

ちゃんとしたご飯が食べれますから。

家では相変わらず怯えて暮らしていました。

食事中も油断出来ません。

何が飛んでくるか分からないのですから。

灰皿が飛んできた事もありました。

今もおでこに痕が残っています。


お小遣いを下さい。私は言いました。

「皆もらっているので下さい」

「皆がもらっているから?お前も真似するのか?

 皆が死んだらお前も死ぬのか?馬鹿者が!」

もうお話になりませんでしたね?押し黙ると

あなた方は「いいだろう、小遣いで学用品他全てまかなえ!」

ドヤ顔で言いましたね。300円で。

お年玉等もほぼ搾取されていました。

その頃本当に怖いのは父だと思っていました。

委員会で帰宅が遅かった日、玄関で仁王立ちで待ち構え、

顔を見るなりボコボコにしてくれましたね。

翌日「下手な事を言うなよ?ひどい目に合わせるぞ」

眼帯に、包帯隠しきれない青あざ傷、

その姿で登校し「どうしたの?」「転んじゃいました」

バイクでポーンと跳ね飛ばしてくれたこともありました。

こんな事日常茶飯事でしたね。

鎌やデレッキ(火かき棒)でも脅してきましたね。

うっかり熱したデレッキ当たった事もおぼえていますよ。

おでこがジュッって焼けましたよね。


お母さん、あなたのは暴力は私が高学年になり体格も良くなり、

平手打ちを力で押しとどめ、それから減りました。

力では適わなくなったと思ったのでしょう。

それからはいかに自分がか弱く可哀そうで、

父が酒代とパチンコにお金を持っていく、

そんな愚痴を延々と聞かされました。

そして言うのです「お前だけが頼りなのよ」ゾッとしました。

時々わざと給食費の中身を抜いて渡してくれましたね?

ある事無い事陰で父に告げ口していましたね?

井戸端会議も大好きでしたよね?

私の悪口話すのはそんなに楽しかったですか?

一度暴力と暴言を浴びせ「お前さえ居なければ!

私の人生はこんなじゃあなかった、死ね!お前なんて死んでしまえ!」

狂ったように喚きましたね。

追い詰められ私はうっかり準備してしまいましたよ。

物置で準備完了さようなら、と思った矢先、

「あら何してるの?オヤツがあるわよ?」

首に荒縄括り付けた娘にそう言いましたね。

今私が死んだところで何にも変わらない、

喜ばせるだけだ。

その時思い知らされました。


この人達は変だ、おかしいと気付いていました。

大人になってこの人達から離れたい。

中学になり進路を決める時、私は看護学校を志望しました。

寮に入れる、お金もかからない、

その夢も握りつぶしてくれました。

要らなかった子が今度は可愛い一人娘。

そんな苦労はさせたくないと。

仕方なく高校に進学し途中から通学費、学費も

出し渋りましたね。私はバイトを始めました。

就職も大手の面接を取り付けると、

前日にネチネチと泣き出すまで攻撃してきましたね?

そんな所に就職したら年始の晴れ着が要るじゃないのとか。

目を腫らし心も重い状態で面接通る訳がありません。

当時は就職も大変だった頃でした。

邪魔をしておいて今度は働いてくれないと困る。

いつ決まるの、さあ早く就職先探しなさいと。

家から出る働き口はダメだから!と。

必死で職にありつき、今度は給料を渡せと。

二十歳で一度、お父さん、あなたの喧嘩を買い、「出ていけ!」

とボコられながら言わせ、家を出ました。

今度はお母さん、あなたが毎日のように玄関で待ち伏せ、

お前が家に帰らないと自分がひどい目にあう。

知った事じゃなかったです。

当時おいそれと転職出来なかった事もあり、

謝られて戻りました。

それでもなんのかんのとお金をせびります。


これはもう結婚早めにしようと話を進めました。

二人が良いと思うのだから披露宴等必要ない、

そう考えていました。相手方も好きなようにと。

ところが今まで自分たちがイトコ達にどれだけご祝儀を払ったと思うの?

披露宴やってくれないと困るとゴネ出します。

え?何言ってるの?訳がわからないです。

相手方が良い人達過ぎて結局披露宴しました。

親戚も数だけたくさん居りますので、ご祝儀も

たくさん集まったと思いますが私達の手元には来ませんでした。

友人、職場からの分だけ。

やれやれ、と思ったところに、お母さん、あなたは狂ったように電話をかけてきます。

パートに出たところパート先にまでやってきました。

どうやってここを突き止めたの?

私達もその頃少しおかしくなっていました。

鍵を一度渡したんです、仕事先は困るので。

するとある日上がり込んでいたんです。

合鍵を作られていたんです。

何かホラー映画でも見てるのかな?

そんな気持ちになりました。

これ、何処まで逃げても追ってくると確信しました。


家を建てるから一緒に住んでくれないと

死んでやる!が始まったので気が遠くなってきて、

側で抑えている方が楽かもしれない、

そう勘違いしてしまい、今に至ります。

私の子供に実害が無かった事だけが救いです。

お金に、私に執着し続けたお母さん、あなたは今老人ホームに居ます。

手厚い介護を受けています。

真っ先に私の事を忘れてしまいました。

そこに至るまでも凄まじい闘いがありました。

お父さん、あなたはお母さんへの暴力を始めましたね。

地獄の様でした。お母さん、あなたの認知症が進んだ時、

私は初めて息子にも私の育ちを打ち明けました。

同時に毒親という言葉も知りました。

家に残っているのは、お父さん、あなた一人。

最近は母の行方も尋ねなくなりましたね。

もう誰一人同情もしてくれない。


両親よ、私は体を随分壊しましたが、

あなた方は殺人犯にならずに済んで良かったですね。


※画像は2歳前頃隣家にて。

 目が落ちくぼんでいます。ふっくら一重まぶただったのに。

 2枚目は施設の頃。



  • ●みんなの「親への手紙」プロジェクト

https://letters-to-parents.blogspot.com/2014/08/2018minna-tegami.html 









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